病は気から?

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
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最近、休みの日に限って午前中なかなか動けないことが増えた。朝ごはんを作って食べて、日課のストレッチとスマホの英語学習、脳トレを済ませて横になってしまうとだめだ。そのまま眠気に襲われたり、頭痛がしてきたり、めまいのような症状が現れて起き上がっていられなくなったりする。だいたい昼近くなると収まってくるのだが。朝ごはんを食べてすぐに出かけてしまえば大丈夫なときもあるし、そう思っても動けないこともある。休みの日に限って。平日で特に仕事がある日は程よく緊張していて感じないのか。だとしたら、休みの日は動けないなら動かなくてよいという安心感からそういう症状が現れるのか。もともと予定のある休日とかは何ともないところをみるときっと無意識に脳がそういう処理をしているのかと考える。

小さいとき、運動が苦手だった私はスキー学習やマラソン大会の朝はよくお腹が痛くなった。こっちは本当に痛いのに行きたくないから仮病を使ってると思われた。大嫌いな歯医者に行くときは、歯の痛みに加えてお腹も痛いという、ダブルの苦痛を味わった。

私は車酔いも激しい子どもで、すぐ近くでも車に乗ると気持ち悪くなる。幼稚園バスもだいたい酔うので、毎日一番前の席に座らせてもらっていた。三半規管が弱かったのか、「酔う」と思って乗るから酔うのか。特に父が運転する自家用車に乗るときに車酔いすることが多かったのは、当時は今ほど飲酒運転に対する規制も厳しくなく、運転するときも焼酎の水割りを飲みながら運転していた父の隣の助手席が私の指定席だったので、隣でつまみを開けたり、お酒を飲みながら煙草も吸っている父の匂いに気持ち悪くなっていたのが最大の理由なのかもしれない。高校生ぐらいになって、父の車に乗ることもなくなって、自分の身体も変わったのかあまり車酔いはしなくなった。空腹のまま車に乗ったり、車のなかで文字を読んだりすると気持ち悪くなることはあるが、子どもの頃は必ず酔い止めの薬を飲んでいたのに、それはいらなくなった。

社会人になって、一時ゴルフ場のレストランで配膳をやっていた時期があった。当時付き合っていた人の先輩の紹介だった。一緒に暮らしていたその彼氏は仕事でその先輩と一緒に、いわゆるリゾートバイトで働くため一年間ほど離れて暮らすことになり、しばらく一人暮らしをしなければいけなくなった。仕事を辞めたばかりで特に仕事に使える資格なども持っていなかった私は、その先輩の紹介に頼って、ゴルフ場の仕事を始めた。やってみたらとにかくきつかった。仕事の内容ではなく、精神的に。とにかく何をやっても怒られる。「なんでこんなこともまともにできねえんだ。」「自分がなんでこんなことしなきゃいけないんだって思ってんだろ。」こんなようなことばかり言われ続けた。でも彼氏の先輩の顔を潰せないし、彼氏に相談しても「最初はそんなもんじゃない?そのうち慣れてきて、怒られなくなるから頑張れ。」と言われ、辞めることが選択肢に入れられないまま働いていた。ある日、突然帰りの電車を降りたら、膝が激しく痛み出した。どこかにぶつけた覚えもないし、ひねったりとかもしていない。でも、痛くて駅の階段を降りるのもかなり時間がかかった。「明日も仕事だ。休んだりしたらまた何を言われるかわからない。」そう思って、そのまま近くの病院に行った。レントゲンを撮っても特に異常はなく、とりあえず電波みたいなのを膝に当ててもらって、湿布と痛み止めをもらって帰った。翌朝起きても膝は痛かったが、歩けないほどではなかったので、痛み止めを飲んで仕事に行った。でもやっぱり痛くて、どうしても動きは遅くなる。「昨日から膝が痛くて、病院行ったんですけど、動くと痛いんです。」そう説明したが、「膝ぐらいオレだって痛いわ。おおげさだな。」…どんどん心が削られていたのに気づかないフリをした。それから、今度は仕事に行くときの電車でどうしようもない眠気に襲われて、降りる直前まで起きていられなくなった。どんなに前日にたくさん寝ても、電車に乗ったとたんに眠くなる。立っていれば大丈夫かと思い、立っていても寝てしまう。もうすぐ降りるから起きてなきゃと思っても、目が開けていられない。何とか降りる直前になればバッと起きて電車を降りていたから、遅刻はせずに済んでいたが、そのまま今度は夜眠れなかったり、ストレスからか食べても食べても満腹にならなかったり、いよいよ自分の身体が、いや、心が悲鳴を上げていることに気付き、その仕事を辞めた。わかってくれなかった彼氏が信用できなくなり、彼氏とも別れた。

小学校5年生の時に、母がくも膜下出血で倒れ、離婚した父もいないし、隣町に住んでいた祖母は母につきっきりで病院に寝泊まりし、祖父は腎臓透析を2日に一回受けていたので、病院のある隣町を離れることができない。当時住んでいた団地でわが家の上の階に住んでいて、比較的仲良くしてくれていた家にお世話になることになった。私たち姉妹より少し小さい兄妹がいる家だった。母が気になって最初のうちは毎日学校が終わったらそこの家のおばさんにお願いして病院に連れてってもらった。やはり、一日中他人の家で生活するのが息苦しくて、学校から帰ってきて、夜ご飯まで妹と二人で自分の家にいたいと訴えたことがあったが、祖父母からお金をもらっているから責任があるし、それはダメだと言われた。母は幸い一命を取り留めたが、脳の損傷が激しく、自分や周りの人間をちゃんと認識できるようになるのも時間がかかるし、さらに長いリハビリで麻痺した身体をなるべく戻していかなければならない。祖母はしばらく病院に付き添っているから、家には帰ってこれない。この生活が長く続くと認めるしかなかった。ある日、私は40度近い高熱を出した。お世話になっていた家のおばさんに病院に連れてってもらったが、風邪の症状はないし、インフルエンザでもないし、とりあえず熱さましの薬を出してもらって帰った。それから三日間、薬を飲んでも熱は下がらず、おばさんから連絡を受けた祖母が、少しの時間様子を見に来た。祖母が家に着いたとたん、身体が軽くなったと思ったら、熱が下がっていた。まだ目を離すと勝手に注射針を抜いて暴れだす母を置いてきて出てきた祖母は、すぐに病院に戻ってしまった。その夜、また熱が出た。また病院に連れてってもらったが、やはり原因はわからない。「申し訳ないけど、ちょっとこれ以上うちでは面倒みられない。」とその近所の家にいられなくなった私たち姉妹は、隣町の祖父のところに行くことになり、学校はしばらく休むことになった。母のそばを離れたくなくて、いろんなことを我慢して、無理して、迷惑もかけてまで祖父のところに行くことを拒んでいたが、祖父のところで熱が出ることは一度もなかった。

心と身体はどういう構造で繋がっているのか、私にはよくわからない。医学的に説明できない身体の不調は、きっと心が一生懸命訴えているのだと思う。心は目に見えないから、このままだと壊れてしまうと警告をするのに身体を使っているのではないか。自分の心の声を、訴えを、他の誰にもわかってもらえなくても、自分だけはきちんと聞いてあげなければいけないと思う。ここ最近の身体の不調はおそらく更年期障害だったり、ホルモンの不安定だったり、気の緩みだったり、そんなに心が訴えている感じはしない。それは何も無理してやっていないからだと思う。でも、きっとそうじゃないとき、自分でもわからないとき、そういう時は少し心に聞いてあげなければいけない。病院で原因がわからなくても、説明がつかない症状でも、助けてほしいと自分の心が叫んでいることにきづいて、自分を助けることができたら、同じような思いをしている人、わかってあげたい大切な人の痛みに気付いてあげられるかもしれない。

この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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