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恋愛体質

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
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2月14日はバレンタインデー。
もともとは古代ローマが発祥で、「男女の出会いの日」として親しまれていたそう。
それが後にキリスト教徒にも「恋人たちの日」として認知されるようになった。
「女性から男性へチョコレートを贈る」という習慣は日本独特の文化で、海外では恋人や家族、友人に花束やカードを贈り合うもので、チョコレートは主役ではない。
最近では日本でも、「自分へのご褒美」や「友チョコ」など、女性から男性という概念は薄れてきているが、チョコレートを主役としたのは百貨店やお菓子メーカーの販売戦略がきっかけで定着したのだろう。

小さい頃は、父にバレンタインチョコを渡していた。
甘いものが嫌いでお酒が好きな父に、よくウイスキーボンボンを買っていたのだが、それも父には喜ばれず、ウイスキーが苦手な母もお酒が飲めない私たちも食べないので、いつからか父には私たちが食べられるチョコと、キーホルダーや灰皿といった物を一緒に贈るようになった。祖父もあまりお菓子は好きではないものの、私たちがあげたチョコは少しずつ大切に食べてくれたので、祖父にチョコレートを渡すと自分も幸せな気持ちになった。
父には、毎年「今年はどんな物を選んだら喜んでくれるだろう。」と悩んだ事もあったが、チョコは渡したそばから自分に戻ってくるので、そのとき自分が食べたいチョコを選ぶだけ。

私は幼稚園のころから「好きな男の子」がいて、小学校に上がっても、その後もずっと「好きな男性」というのが存在した。
幼稚園のときは好きな男の子とお遊戯会でペアになりたくて、頭を悩ませた。
女の子がウエディングドレス、男の子がタキシードを着てペアで踊るお遊戯があり、どうしてもその男の子とペアで踊りたかったのだ。
背の順でペアは決められる。私は幼稚園のとき周りの女の子よりも背が高い方だったので、いつも背の順は一番うしろか、うしろから二番目だった。
Sちゃんというもう一人背の高い女の子がいて、その子といつも一番うしろと、うしろから二番目をとっかえひっかえしていた感じだった。
そのお遊戯が決まったとき私は背の順で一番うしろ。
一緒に踊りたい男の子はうしろから二番目。このままだとSちゃんとペアになってしまう。
ペアを決めるのに改めて身長を測定することになり、私は少しかがんで背中も丸めてなるべく小さくなるように工夫するが、もちろん先生から「ちゃんとまっすぐピッと立ってね。」と注意され、結局やはり一番うしろ。好きな男の子とはペアにはなれなかった。
家に帰ったら悔しくて母に、「お遊戯会出ない!」と駄々をこねて困らせたが、結局違う男の子と無事に踊ってお遊戯会は終了した。
そのあとにお遊戯会の写真を見て、また「やっぱりあの子と一緒に踊りたかった」という気持ちが再燃したが、ドレスがかわいかったのと、最終的にペアになった男の子も周りからは人気があった男の子で、実はSちゃんは私がペアになった男の子と踊りたかったということを後から聞いて、お互いに同じ気持ちだったのだと思うと少し悔しさが紛れた。

小学校に上がって、3年生の時に同じクラスになったサッカーのが上手でやんちゃな男の子Tくんに恋をした。
みんなのガキ大将的な存在で、他の男の子たちはTくんの前では少しおとなしくなってしまうようなところがあり、そんなところも私にはカッコよく見えた。
そんなTくんにはSくんという幼馴染の男の子がいて、Sくんは学級委員長で頭もよく、みんなに慕われているような男の子。
TくんはSくんと正反対の性格ながら、Sくんに注意されると素直に聞いたし、Sくんにはあまり偉そうな態度を取らないところがあった。
そんな二人を見てると、本当に仲が良くて信頼し合っているような気がした。他の友達には偉そうにしているのに、Sくんにはそんな虚勢を張らずに接しているTくんがかわいく思えた。
3年生のときからずっと好きでいつもTくんを目で追っていたが、いつも男の子の友達と遊んでいるか、サッカーをしているかで女の子と接点があまりなかったTくんとは話すきっかけも話題もなく、何より恥ずかしくて話しかけることはできなかった。
でも、私がTくんを好きなことは周囲にかなり知られていた。
私が自分で母や女の子の友達に話していたし、とにかく「好きオーラ」を出しまくっていたようで、話していない友達や先生も知っていた。
そんな状態だったので、今思えばTくんも知っていたのかもしれない。
「陰でひっそり想っている」と浸っていたのは私だけだったんだと思う。
そして片思いを続けて5年生になったとき、Sちゃんという転校生が来た。
都会から来た美人さん。私はSちゃんと席が近くだったのと、Sちゃんへの憧れのような気持ちもあり、Sちゃんとすぐに仲良くなった。Sちゃんにも私がTくんを好きなことは話していた。
ある日、Sちゃんから「わたしもTくんのこと好きなんだよね。ライバルになっちゃうけど、友達ではいたいから、お互いに頑張ろうね。」とサラッと宣戦布告された。
「そうだね。Tくんかっこいいから、Sちゃんも好きになっちゃうのわかるよ。一緒に頑張ろうね。」なんて返事をしながら、心の中は不安でいっぱい。大ピンチだ。
Sちゃんはとてもかわいかったし、男の子ともガンガン話せて、Tくんともよく話していた。
私は相変わらずTくんに話しかけることもできずにいたので、完全に不利だと落ち込んだ。
でも、Sちゃんとは「今日の男子のサッカー見た?Tくんやっぱり上手だし、かっこよかったよね~!」と二人で盛り上がったりもしたし、Tくんの情報を交換し合ったり、けっこう仲良くライバル関係を続けていた。
転勤族だったSちゃんのお父さんの転勤で転校してきて1年もせずにSちゃんはまた別の町に行くことになった。
さみしい気持ちと同時に少しホッとしてしまった自分がイヤになったのを覚えている。
Sちゃんがいなくなってすぐ、私の母がくも膜下出血で倒れた。
しばらく近所のおばさんの家にお世話になっていたころに迎えたバレンタインデー。
母も一命を取り留め、リハビリを始めた頃。ずっと母のことで頭がいっぱいでTくんのことなど全然考えずにいたが、お世話になっていたおばさんから「好きな男の子いないの?いるならバレンタインチョコ、あげたら?」と提案され、お母さんに相談してみることにした。
母は後遺症で呂律がうまく回らなかったり、まっすぐ歩けなかったりしていたが、記憶はやっと安定してきて、私たちのことや周りの人のことも思い出せるようになっていて、Tくんのことも私がずっと片思いしている相手だと思い出していた。
「お母さん、Tくんにチョコあげるか迷ってるんだよね。でもまともに話したことないし、迷惑だったら嫌だし、どうしようかな。」と病室で2人になったときに相談した。
母は「人に好きって言われてイヤな人いないと思うよ。告白するんじゃなくてチョコを渡すだけなんでしょ?それならTくんが喜んでくれそうなチョコレート渡してみたら?」とニコニコして言ってくれた。
その母の言葉を聞いたら、不思議とずっと迷っていた気持ちがスッと晴れて、そのお見舞いの帰りにサッカーボールの柄の包装紙に包まれた小さなチョコと、それを入れる男の子でも小物入れに使えそうなシンプルな瓶にラッピング用の袋とリボンを買った。
バレンタインデー当日、学校にチョコレートを持っていくのは禁止なのに、コッソリ持ってきていいる女の子もチラホラいたが、私は放課後渡すことにしていた。
直接渡すのは恥ずかしくてできないし、小学校の下駄箱はただの棚のような形状だったので、丸見えだし、机の中に入れて帰ったら見つけるのは翌日になる上に、掃除当番の子たちに見つかってしまうかもしれない。
学校が終わって、チョコレートを持ってTくんの家に行った。
心臓がバクバクで、何度も家の前を行ったり来たりしていると、Tくんのお母さんが買い物か何かから帰ってきたらしく、「あら、Tの学校の子かな?どうしたの?」と話しかけてきた。
周りも見ずにウロウロしていた私は急に話しかけられて混乱。
「ごめんなさい!あの、これ、Tくんに渡しておいてもらえますか?」とお母さんに押し付けるような形でチョコレートを渡し、全速力で走って逃げ帰ってしまった。
「とりあえず渡せたし、良かった。」と安心したのもつかの間、自分の名前も伝えていないことに気付いた。メッセージカードとかも添えていなかったので、おそらくTくんのお母さんは「なんかクラスの女の子がこれ渡してくれって置いてったよ。名前はわからないけど」みたいな感じで渡したのだろうと思うが、気持ちは伝えられず、母に言われた通り「ただチョコを渡すだけ」で、私の初めての「好きな男の子にチョコレートを贈る」イベントは終了した。
そして、私の中でこのバレンタインデーで勝手に区切りをつけたのか、Tくんへの恋心も不思議と薄れていった。

中学校に入り、2年生の終わりごろ、私にとって初めての「彼氏」ができた。
2年生になるときにクラス替えがあり、そのときに隣の席になった男の子、Yくん。
学年で一番背が高く、野球部のエースで、陸上の走り高跳びで全国大会に出て、体育委員長をしていた男の子だった。
YくんはTくんと違って、いつもニコニコしていて頼まれたら断れないようなお人好し。
Yくんの仲のいい男の子たちがみんな女子に人気のあるかっこいい男の子ばかりだったので、どちらかと「気は優しくて力持ち」的な「ザ・いい人」という感じだったYくんは、周りの男の子たちからちょっと種類が違う感じで、すごくモテるというわけではなく、とにかくいい人といった立ち位置だった。
そんな感じだったので、私も話しやすくて、隣の席で仲良くなっていった。
そのうちYくんの恋愛相談なんかも受けるようになり、Yくんが片思いしている女の子の写真を変わりに注文してあげたり、(遠足などのときに先生が撮ったスナップ写真は教室に張り出され、買いたい写真のところに名前を記入するようになっていたため、男の子が女の子、逆に女の子が男の子ばかり移っている写真を注文するのはためらわれたのだ。)その女の子の情報を教えてあげたりしていた。
この時も私の「好きオーラダダ洩れ」気質は変わらなかったので、ほどなくして周囲の誰もが私のYくんへの想いには気づき、Yくんにも知られるところとなった。
誠実なYくんは「ごめん、お前のことはすごくいい友達だと思ってるし、これからも仲良くしたいけど、俺はまだ好きな子がいるから…。」と私に伝えてくれた。
「わかってるよ。ぜんぜん付き合いたいとか思ってるわけじゃないし、こっちがただ勝手に好きなだけだから気にしないで。これからも友達として仲良くしてくれればそれでいいよ。」との私の言葉も受け入れてくれて、しばらくそのままの関係が続いた。
2年生のバレンタインデー、私はYくんにチョコを渡さなかった。
周りの子たちも、もしかしたらYくんも私はYくんにチョコを渡すものだと思っていたようだが、「勝手に好きでいるだけ」という状態でチョコを渡すのは違うと思った。
そうしてバレンタインデーが終わって、ひと月後のホワイトデーにYくんが私にチョコをくれた。
「お前からチョコもらえなかったのがショックだった。それでお前のこと好きなんだって気付いた。だから俺からお前にバレンタインチョコ、渡そうと思った。」と。
そうしてYくんとの交際が始った。
それからの中学校生活はほぼほぼYくん一色となった。

中学3年生のときに通っていた塾で密かに気になる男の子ができた。高校の入学式でその男の子を見つけた。「これは運命だ!」ぐらいの勢いでまっしぐらになった私はYくんに別れを告げ、新しい恋に全集中した。
その後も私はだいたい1年から1年半の周期で恋愛を繰り返した。
自分ではどの恋愛も全力で、本当に大好きで付き合っていた。
手に入ると満足するのか、飽きっぽいのか、もっといい人がいるんじゃないかと思うのか、自分自身でもわからないところではあるが、1年を過ぎると別れを予感して過ごしているようなところがあった。

自分が恋愛体質なのだと気付いたのもこれぐらいのとき。
私はとにかく好きな人ができたらその人が最優先になってしまう。友達や家族は二の次。
私は恋愛体質なのだと自覚して、なんでこうなんだろうと悩むことも多くなった。
でも、どんなに悩んでも嫌だと思っても、恋愛第一なのは変わることはなかった。
どんなに好きな人と付き合っても1年を過ぎる頃にはまた他に好きな人ができるというサイクルを繰り返していた私は、結婚は無理だろうと思っていた。
そのときは本当に好きで、この人と一緒にいたいと思っても、それは長く続かないと知っていたから。

そうして半ば結婚を諦めだした頃に夫と出会って、結婚したいと思って、生活を共にするようになり、15年が過ぎた今。
夫と出会っていなかったらどうなっていたのかと想像すると少し怖くなる。

恋愛体質とは、人生における恋愛の比重が非常に大きく、常に恋をしている状態や誰かに好意を抱いている状態を好む性質のことを示すそう。
わたしはたぶん恋愛体質だったのだと思う。
これはそんな私のバレンタインの思い出。
現在では男女以外のいろいろな形で楽しめるようになったバレンタインデー。
みなさんはどのような人に気持ちを込めてチョコレートを渡しますか?


この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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