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音楽のある生活

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
この記事は約13分で読めます。

私たちの日常の中に欠かさず存在する音楽。
覚えてはいなくても、赤ん坊のときは子守歌を歌ってもらったりしただろうし、学校で音楽の授業を受けるようになる前からきっとほとんどの人々が音楽と出会っている。
音楽がどうやって生まれたのか、そこまでさかのぼると音楽は、原始時代に叫びなどの感情を表現するため、または労働などの動作に協調を持たせるため、自然の音を模倣や、柔術的な祈りとして生まれたらしい。
人間が感情を共有し、日常生活の苦しみをやわらげ、集団の連帯を強める手段として自然発生的に生まれた音楽。
私たちが認識する音楽の素はクラシック音楽。
それを最初につくった特定の人物は歴史的に不明だが、西洋音楽の基礎を築いた功績からバッハが「音楽の父」と呼ばれているそうだ。

私の中の音楽の歴史でいうと、クラシック音楽よりも先に子守歌や童謡、あとはテレビなどから聞こえてくる近代音楽が最も身近だ。
私の母は鼻歌こそ一人のときは歌っていたかもしれないが、私たちの前で歌を歌った姿は記憶にない。父は酔っぱらったりすれば家でも歌ったし、結婚式などの余興でも歌っていた。(なかば強引に歌っていただけな気もするが。)
だから、テレビやアニメで聞く以外に、誰かに歌ってもらったりしたのは、祖母か幼稚園の先生だったような気がする。
祖母は家にカラオケセットを持っているほど歌うのが好きだったので、祖母の家に行くといつも何かを一緒に歌っていた。
私も幼稚園や学校で新しい歌を習ったらけっこう家でも歌っていた。
テレビアニメを見ていて、歌がかかるとテーブルの上に上がって歌ったりもしていた。自分で好きな音楽を聴くようになって、最初に使った音楽を聴くための道具はレコードプレイヤーだった。
母が結婚するときに持ってきたレコードプレイヤーは高さ1メートルほどで、箱のようになっていて上部がプレイヤー、中にレコードを収納できるようになっていた。
母は若いころ、いとこのお姉さんとダンスホールによく通ったらしくて、そのころに買った洋楽のLPレコードが数枚あった。私たちもたまに好きなシングルレコードを買ってもらったりしていた。
私はチェッカーズや中森明菜が好きだった。
LPレコードはいわゆるシングルではなくアルバムのように何曲も入っていて、値段も高かったから、一枚も持っていなかった。
シングルレコードの他に、子供向け雑誌のおまけでついてきた「ソノシート」と呼ばれる塩化ビニール製の薄くて柔らかいレコードもあった。

そのうち私たちが音楽を聴くために使いだしたのが、ラジカセ。
カセットテープに自分の好きな音楽をテレビやラジオから録音して聞いた。
そのうちCDが開発されると、CDラジカセやCDコンポができて、それらを使ってCDのレンタルショップから何枚もCDを借りてきて、急いで帰ってひたすらカセットテープに録音して急いで返却した。その日のうちに返却するとレンタル料金が安かったから。
父がパチンコで勝って懐があたたかかった時に、CDラジカセ(Wラジカセというカセットテープを入れるところが2か所あってCDから録音できるだけではなく、カセットテープからもダビングできるもの)を買ってもらい、CDアルバムの中から自分の好きな曲だけ集めたオリジナルテープをよく作った。
カセットテープにもノーマル、ハイポジ、メタルなどの種類があって、性能がいいものは値段も高いので、特に自分がお気に入りのものは頑張って高性能なものを買って、ケースに入れるラベルも雑誌のおまけや、雑貨屋で買ったお気に入りのものに入れ替えて、レタリングシールなどを使ってきれいに曲のタイトルを書いていた。
この頃はとにかく周りがいいと教えてくれた音楽や、テレビやラジオで気に入った曲、アーティストのものをとにかくたくさん借りて聞いていた。
歩きながらカセットテープが聞ける「ウォークマン」や同じく歩いてCDが聞ける「CDウォークマン」も登場した。
ちなみに「ウォークマン」はSONYで作られた商品の名称で、正しくは「ポータブルオーディオプレイヤー。でもその頃は「ウォークマン」が正式名称だと思っていた人が多かった。
そういえば、たまにラジカセを使って私が歌っているのを録音したり、私がいたずらでこっそり父や母の会話を録音していたことがあった。
初めて自分の歌っている声や話している声を聞いて、自分が聞いている自分の声と違っていてショックを受けた記憶がある。
それらのカセットテープ、今思えば大切にとっておけばよかった。カセットテープだから劣化で聞けないかもしれないが、もしその頃の「音」や「声」が聞けたら…。

CDの時代はしばらく続き、いろいろなアーティストのアルバムを買ったり借りたりしていた中で、最も熱中したのがユニコーンというバンド。
私がハマったころはもう解散直前だったのだが、そのころのこづかいやアルバイト代はすべてユニコーンにつぎこんだ。
アルバムはもちろんすべて購入した。数量限定のミニアルバムなどは大変だった。今のようにネットで買うとか、リサイクルショップなどもなかった頃。ユニコーンの記事が載っている音楽雑誌はすべて買って、ユニコーンの記事を切り取ってスクラップしていた私は、その音楽雑誌の「譲ってください」「探してます」のコーナーに投稿して譲ってもらったりしていた。
その音楽雑誌もバックナンバーをとれるものはすべて注文して購入し、CDと同様にライブビデオも発売されているものはすべて購入した。
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもすべてユニコーン。
早く注文しなければいけなかったり、どうしてもすぐ欲しいものがあると、母に頼んでプレゼントを前倒して買ってもらった。
解散直前だったため、ライブには行けなくてそれだけがずっと悔やまれていた。
私が社会人になって奥田民生のソロコンサートには行った。
ユニコーンの中で奥田民生が一番好きだったから、それはそれで嬉しかったが、やっぱり「ユニコーンの奥田民生」が見たかったとずっと思っていた。
結婚して、ユニコーンが再結成され、その望みが叶った。夫が知り合いに頼んでくれて、なるべくステージから近い席のチケットを買えた。前から3列目の席で私は夢にまで見た「ユニコーンの奥田民生」を見た。出てきた瞬間から感動して興奮して。今でも忘れられない。

その中でMDというものも誕生した。
私は一枚もMDを所持することはなかった。世間的にもあまり浸透せずに、ひっそりと消えていき、それから時代はデータや配信、サブスクとものすごいスピードで進化していった。
私も今はほとんどCDではなくてスマホや、データで音楽を取り込んだミュージックプレイヤー、あとは配信された音楽をYouTubeなどで聞いたりすることが多くなった。
それでも、自分が好きなアーティスト、大切な曲などはCDで形として残したいという気持ちになる。
今では歌詞も検索すれば簡単に出てくるが、歌詞カードで読んで、カードの写真やデザインを楽しむのも楽しかった。

ドラマの主題歌やCMタイアップとして耳にすることが多かった曲は、その曲を聞くとそのドラマやCMの映像が脳裏に浮かんでくる。その分印象にも残りやすく、思い出として残しておきたくなったりする。
映画のサントラなどもそれと同様で、とても感動したり、衝撃を受けたりした映画やドラマはサントラCDが欲しくなることが今でもたまにある。
CDという形として残しておくことで、思い出をそのまま閉じ込められる気持ちになる。

年齢を重ねたからか、音楽番組なども少なくなり、ドラマなどもほとんど配信などで見るようになってしまったからか、今の流行りの音楽は「いい曲だな」とか「この人歌うまいな」と感じることはあっても、今までのようにずっと印象に残ったり、聞いたらそのときのことを思いだすということもなくなってしまった。
だからなのか、昔の曲だったり、いつのまにか耳にしていた洋楽だったりを聞くことの方が多くなった。
おそらく、私が若いころに聴いてたものを私たちの親世代が「何がいいのかわからない」とか「誰が誰だか区別がつかない」と言っていたのが今の私の状況なのかもしれない。
でも、今の若い人たちが昔のポップスなどを聞いて感銘を受けたりしているというのを聞くと、時代が変わってもいいものはいいものとして残るものなんだろうという気もする。

耳が聞こえない、あるいは聞こえにくい人でも音楽を楽しむ方法はある。
音楽の振動や光、歌詞、映像を通して楽しむ方法は多く存在する。
身体で低音の響きを感じたり、骨伝導イヤホンを使ったり、手話や表情で歌を表現する「手話歌」というものも音楽に触れる新しいスタイルとして普及している。

これからも流行りや形は変わっても、人間の側には必ず音楽がある。
その大元はクラシックであり、もっと元は人間が感情を共有し、日常生活の苦しみをやわらげ、集団の連帯を強める手段として生まれたのだということを考えると、音楽はこれからもずっと人間にとってなくてはならないものなのだと思う。
どんな時代もどんな人にも音楽は存在して、私たちの生活に身近なものであることはこれからも変わらないだろう。
これからもあらゆる場面で音楽と触れ合い、それに感謝することを忘れずにいたい。


この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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