「ぶりっ!」

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
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北海道のブリは、秋(主に9月~10月)に旬を迎え、身が締まって上品な脂の甘味が特徴だ。近年は海洋環境の変化によって水揚げ量が増加し、全国トップクラスの産地ともなった。今まで北海道の秋と言えば代表格だったサンマやサケの不漁が続く中で、ブリの漁獲が拡大しており、「魚種交代」の一例として注目されている。

こどものころのわが家は、父が調理師で、母はパート主婦。わたしと年子の妹の四人家族。父が「王」として君臨していた家庭だった。父が度々職場を変えていたので、その時々で状況は変わるが、基本的には朝は少し遅めに仕事に行って、夜も少し遅めに帰宅するという期間が長かった。お風呂は必ず父が一番先だったし、父が帰ってきたら、車が駐車場に入ったタイミングで母は料理を温め、父が家に入ってきて食卓に着くタイミングで料理を出した。テレビのチャンネル権はもちろん父が最優先だったし、父が寝るときは必ず父が布団に入る前に枕元に水を一杯とタバコとライターをセットしておかなければならなかった。この役目はほとんど私が担っていたが、一度私が他の事をしていてセットが遅れたことがあり、父に頭を蹴とばされたことがあった。

朝食をとるとき、父は自分のタイミングで起きてゆっくり一人で食べることが多く、私たちは三人で先に食べていたのだが、時々早く起きてきて一緒に朝ごはんを食べることになると、ちょっと面倒だった。父は若い頃に野球の球が眼に当たってからは日光の光に弱かったため、普段から色付きのメガネをかけた上に、朝も父がいる間は真っ黒の遮光カーテンで日光を遮っていた。なので三人だけで食べるときは朝日を浴びて気持ち良く食べられる朝食も、父が一緒だと朝なのに真っ暗で電気をつけて食べなけばならない。

父がいるときはどんな時でも、父が手をつけてから食事を始め、ちゃんと正座をして、父に勧められた方法で食事をとらなければならなかった。特に私は父の愛情を一身に受けていたため、座る位置は必ず父の隣(たまには膝の上)だったし、父の言うことは絶対で、一番正しいと思い込んでいた。そのため、父が「これをかけた方がうまい」とか「この順番で食べたほうがうまい」などと言ったらそれに従った。母や妹は完全に「お父さんはお姉ちゃんが言うこと聞いていればいいんでしょ」状態だったから、うまく逃れていたが。(それでも父がどうしても全員に強要してきたら黙って従っていた。)

このころわが家で魚が出るときはサンマやサケが多かった。特にサンマは当時とても安かったし、けっこうな頻度で登場した。父もサンマは好きだったが、あまり続くと文句を言うので、母はたまに父の食事だけメニューを変えたりしていた。魚に限らず、全員分は高くて買えないカキは、父だけがカキフライ、私たちはししゃものフライといった感じ。「カキは大人にならないとおいしくないから、子どもはまだ食べられないんだよ。」と何とか私が「食べたい、食べたい!」と騒ぐのを抑えたのにも関わらず、父が帰ってくると「うまいんだぞ。食べるか?大人じゃなくたっておいしいから食ってみろ。」…母の努力はまんまと水の泡になる。父は夕食時には必ず晩酌をしていたため、お酒とおかずのみ。寝る直前にどんぶり飯に残りのおかずや生卵をぶっかかけて食べるスタイルだった。

ある日の夜。父は帰りが遅いため、夕食は三人。おかずは焼きさんまだった。父が帰宅し、母はちょっとさんまが続いていたので、父にはちょっと奮発してブリを出した。(その頃、ブリは北海道ではあまり漁獲されておらず、価格も高めだった。)久しぶりにブリが登場して父も上機嫌。食い意地が張っていた私はいつも父が帰ってきたとき、既に布団に入っていてもトイレに行きたいフリをして父を出迎え、歯磨きを済ませたにも関わらず父のおつまみのおこぼれをいただいていた。その日も例に漏れず晩酌を始めた父の膝の上に乗り、食べたことのない魚を見て「これ何?おいしいの?」と完全に食べさせてもらう気満々。父も「うまいぞ。食べてみるか?この魚はブリっていう魚で食べたかったら約束があるんだ。」と言ってきた。「約束?それをできたら食べれるの?」「そうだ。できたらやる。食べたかったらブリっ!って大きい声で言うんだ。そしたら食べてもいいぞ。」「そしたら食べていいの?そんなの簡単じゃん。ぶりっ!」「もっと大きい声で、おもいっきり!」「ぶりっっ!」「もっと!」「ぶりっっっ!」「よし!いいぞ。口開けろ。あ~ん。」「あ~ん…おいしい~~!」そうして父のおつまみがどんどん私の口に入れられていく様子をみていた母は、たまらず「いつまでもふざけてるんじゃない!お父さんのおかずでしょ!もうご飯食べたのになんでそんなに食べてるの!もう一回歯磨きして寝なさい!」と。それはそうだ。母は父を喜ばせるために奮発して一人分買ってきて、「お~、ブリか。久しぶりだな。」と父に言われて気を良くしていたのに私のせいで台無しだ。しかしこうなると父は「俺が良くて食べさせてるんだからごちゃごちゃ言うな。」と母を叱る。

そのころはいろんな場面でこういうことがよくあった。「なんでお母さんはいつも私ばっかり怒るんだろう。私のこと、嫌いなのかな。」と考えることも多かった。とにかく私は無自覚に母を怒らせていた。今は亡き母には謝りたいことだらけだ。妹も同じく私のずる賢さを良くは思ってなかっただろう。妹は一度もそんなことをしたことはしなかったし、いつでも私+父、妹+母の構造ができたのはそういうことだ。それでも私には昔の懐かしい思い出。私の大切な過去なのだ。

今年もこれからブリのシーズン。焼いても煮ても揚げてもおいしい魚。スーパーに並んでるブリを見たら主人に「ぶりっ!」って言ってみようかな。

この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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