トイレの神様

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
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2010年にリリースされた「トイレの神様」。
シンガーソングライターの植村花菜さんのヒット曲である。実家の隣に住んでいるおばあちゃんと暮らしていた小3の女の子。トイレ掃除が苦手だった女の子におばあちゃんが「トイレにはキレイな女神様がいて、毎日キレイにしたら女神様みたいにべっぴんさんになれるんだよ。」と女の子に話して、それから女の子はトイレをピカピカにするようになった。すこし大きくなった女の子はおばあちゃんとぶつかるようになり、やがておばあちゃんを残して出ていく。
上京から2年でおばあちゃんが入院し、久々に会いに行くが、その翌日おばあちゃんは静かに眠りにつく。まるで女の子が会いに来るのを待ってくれていたように。
歌詞の内容はこんな感じで、聞くたびに少し懐かしい、切ない気持ちになった。

わたしにもおばあちゃんから教えてもらった「トイレの神様」がいた。私は小さいときから祖母が大好きだった。どこの家でもそうかもしれないが、祖父母は思いっきり私たちを甘やかしてくれたし、めんどくさがらずに遊んでくれる存在だ。うちの母方の祖父母は実家の隣町に暮らしていた。母が一人娘だったため、よく遊びに来てくれたし、夏休みなどはよく祖父母の家に泊まりに行ったりもしていた。特に祖母は洋裁が得意で、母の着ていた浴衣を私が着られるように直してくれたり、クラシックギターや、カラオケのセット(いろいろなカセットテープとプレイヤー、マイクがセットになっている)を持っていて一緒に歌を歌ったり、祖父母の家には私たちが遊べるようなおもちゃがなかったので、花札のやり方を教えてくれて一緒にやったりした。

その祖母がいつだったか、「トイレの神様は女の人だから、きちんと大切にキレイにトイレを使っていれば、お願い事聞いてくれるよ。目には見えないけど、右の肩の上にいていつも見ててくれてるんだよ。」と教えてくれた。基本的に人の言うことをあまり疑わずに信じるタイプの私は、素直に「トイレの神様」の存在を信じて、欲しいものができたとき、運動会が嫌で雨になってほしいとき、テストのヤマを張ったとき、そして母が倒れたとき。とにかくことあるごとに10分ほどトイレにこもり、右の肩に手を当てて、目を閉じて「トイレの神様」に一生懸命お願いをした。願う気持ちが強いときはなかなかトイレから出てこないので、母が「おなか痛いの?」と話しかけてきたりしたこともあった。トイレでのお祈りは誰にも内緒で行っていた。人に話すと願いが叶わないと思っていたからだ。「トイレの神様」にお祈りをして「これで大丈夫。」と一人で勝手に安心していた。トイレに貼ってあったカレンダーにかわいい小人の絵があって、トイレの中で左手を右の肩の上に置き、右手の手のひらをカレンダーの前に出して、しばらく待っていたことなんかもあった。

歌と同じように、私の祖母ももう他界している。「おばあちゃんは死んだらお星さまになってずっとみんなのこと見てるよ。空にある一番光ってるのがおばあちゃんだよ。」とか、「大きくなって選挙に行ったら、〇〇党に投票したら、将来地球に住めなくなったときに、宇宙に連れてってくれるよ。」とか、ホントかどうかは別として、いろいろなことを話してくれた。母が倒れて入院し、泊まり込みで病院で看病していた祖母。まだ小学生だった私たち姉妹は近所の家に預けられていて、倒れた母が早く元気になるように、そして早く祖母が家で私たちの側にいてくれるように、近所の家のトイレでも「トイレの神様」へのお祈りは欠かさなかった。怪しまれないようにだいぶ時短でお祈りしてたので、トイレにいくたびにお祈りをして回数で「これで大丈夫」と思える自信を稼いでいた。

祖母も一人娘を想い、その娘の子どもである私たちを想い、3人姉妹だった祖母の妹たちを想い、「トイレの神様」にお願いしていたことがあるのだろうか。私は「トイレをきれいにしていれば」の部分を都合よく忘れて、ただお願いだけをしていたのだから、願い事をかなえてもらう資格などなかったと思う。でも祖母はきちんとトイレをキレイにして、ピカピカになったら少しだけお願いしてみたりしたことはあるのだろうか。きっと、お星さまになった祖母は「だめだよ~。トイレきれいにしてからじゃないと~。」って私に突っ込んでいたことだろう。さて、気合入れてトイレ掃除して、「トイレの神様」のポイント貯めて、ここぞ!っていうときに一括でお願いだ。お願い事は常に更新されて、ここぞ!がいつになるのかはわからないけれど。

この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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