楽器にふれる

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
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みなさん、何か楽器に触れていますか。
現在は何もしていないという人も、小学校のときは必ず鍵盤ハーモニカだったり笛だったり、授業で触れることがあった人がほとんどではないでしょうか。
幼稚園や保育園でも、タンバリンだったりカスタネットだったり、おもちゃのピアノや鉄琴で遊んだ人も多いでしょう。
私も幼稚園のときから楽器に触れたり、歌ったり、踊ったり、音楽で遊ぶことが大好きでした。
昔の写真にも残っていますが、幼稚園で鼓笛隊をみんなでやって、私は多くの子と同じ小太鼓。小太鼓以外に何人かだけ持てる、小さい小太鼓が三連になっているものがあって、本当はそれが良かったのですが、私は多くの子と同じ小太鼓でした。最初は「みんなと同じで目立たない」と不貞腐れていましたが、やってるうちに楽しくなってきたのか、写真に残っている私は満面の笑みでした。
楽器に触れる、音楽に触れるということが私たちの生活や、成長にどのような影響を及ぼすのか。野菜や果物を育てるときに音楽を聞かせているという話も聞いたことがあります。音響栽培といって、収穫量増加や栄養価の向上が期待される農法だそうです。音の振動が光合成を促進したり、植物ホルモンの働きを助けたりすると考えられています。
人間も同じで、音楽を聴いたり、楽器を使って遊ぶことはその後の生活や成長に大きく影響があるのではないかと思います。

小さい頃、おそらく小学校に入ったばかりぐらいの頃でしょうか。学校から帰ってくると家の中に今までなかったオルガンがあり、母に聞くと、父が中古を買ってきたのか貰ってきたのかしてきたらしいのです。私は幼稚園の頃から楽器で遊ぶのが大好きで、小学校に上がってからも、音楽の授業で使う鍵盤ハーモニカを家でも毎日のように使っていました。だからそのオルガンを見て、これから毎日オルガンを弾けるんだと大喜びしました。中古なので何個か音がならないところもありましたが、嬉しくて毎日学校から帰ってくるとオルガンを弾いていました。団地だったので、暗くなったら近所迷惑になるからと、帰ってきて暗くなるまでの間、ずっと弾いていたのを覚えています。

小学校の高学年になったときに私は合奏クラブに入りました。アコーディオンはソプラノが10名ほど、アルトが8名ほど。他にティンパニが1名、木琴が3名ぐらいだったと思います。私はアルトアコーディオンを弾いていて、毎日学校のクラブが終わったら、家でオルガンを使って練習していました。みんなで合奏したときの興奮がたまらなく好きでした。そのうち、目立ちたがり屋の私は人数が多いアコーディオンより何人かしかいなくて、ソロパートもある木琴をやるようになりました。そのとき、今まで家にあったオルガンは、おそらく父が勝手に売りに出してしまい、なくなっていました。木琴の練習はバチを持って帰ってきて、ダンボールの箱などを連打していました。

中学校に入って、どうしてもピアノで弾けるようになりたい歌謡曲がありました。CHAGE&ASKAの「PRIDE」という曲です。イントロが印象的で、当時大好きな曲でした。ピアノを習っていた友達に毎日放課後教えてもらい、音楽室のピアノが使えないときは、その友達の家で練習させてもらったり、その友達も丁寧に根気よく教えてくれて数か月でその曲を一曲フルで弾けるようになり、音楽室を使わせてくれていた音楽の先生も、よく頑張ったと、私の演奏をカセットテープに録音してくれました。そのテープは残念ながらもう無いのですが、すごく嬉しくて、途中であきらめなかった自分が少し誇らしい気分になりました。

高校生になると、UNICORNというバンドに猛烈にハマり、CDやDVD,彼らが出ている音楽雑誌、その雑誌のバックナンバーまで取り寄せるほど夢中になりました。小遣いやバイト代はすべてそれらに費やし、「奥田民生と同じようなギターを弾きたい」と激しく思った私は誕生日に父に頼んで、エレキギターとアンプを中古で買ってもらいました。
私の町にはリサイクルショップがなかったので、札幌まで父と二人で行って、夜まで探し歩いてやっと買ってもらいました。
そのとき既に亡くなっていた母方の祖母は、アコースティックギターを持っていて多少弾けたようですが、もういない祖母の他にギターを弾ける人が周りにいなくて、コードも読めないし、団地で大きい音も出せないしで、結局ほとんど使うことなく終わってしまいました。

社会人になってからは、自分で楽器を演奏することはなくなりました。
テレビやラジオ、CDなどで音楽を聴くことは多く、今よりも多くの音楽番組も放送されていたので、聴くことは多くなったように思いますが、自分で演奏する楽しみはなくなってしまいました。

合奏クラブで仲間と一緒に音を合わせて演奏する楽しさを覚え、毎日毎日少しずつ練習して、弾きたかった曲を一曲最後までピアノで弾けるようになったことで、ピアノの難しさや楽しさを学び、あきらめずにやり切った自分に満足し、今までで一番熱中したバンドができて、毎日寝る間も惜しんでCDやDVDを視聴し、集めた雑誌を切り抜いてスクラップしたり、彼らが仲良くしているバンドや彼らが影響を受けたと言っていたアーティストのCDも聞いてみたりして、さらに触れる音楽の幅が広がったり、何より彼らの音楽に触れている時間が幸せでした。
これらの経験やこの時々に感じたり、頑張ったり、感動したり、悩んだりしたことはきっと今の自分になんらかの影響を与えているのではないかと思います。
時々、昔のヒット曲などを耳にしたり、ランキング番組なんかを見ると、その時の自分が何をしていたのか、思い出すことがあるかと思います。「その頃のできごと」として文章で読んだり、話を聞いたりするより、当時の音楽を聴くことが最も記憶を呼び戻す力が強く感じます。
「元気になりたいときに聴きたい曲」「気合を入れるために聴く曲」など、みなさんもきっとあるのではないかと思いますが、音楽には力をくれたり、励ましてくれたり、すごく心に刺さったり、音楽がこの世になかったら、おそらく人間は今と違う形だったのかもしれません。

先日、夫が興味を持っていたギターリサイタルに一緒に行ってきました。
「朴 葵姫(パク キュヒ)」さんのクラシックギターのリサイタルでした。
このリサイタルに行って、クラシックギターを知るまで、私はクラシックギターはアコースティックギターだと思っていました。
始めてこのリサイタルでクラシックギターの演奏を聴いて、その素敵な音色、彼女の演奏技術の高さに感動を覚えました。

ギターでもピアノでも、他のどんな楽器でも、自分で演奏することは素晴らしいです。
上手になるためには努力も必要だし、時間もかかるけれど、できたときの喜びやその努力の時間は何物にも代えられない経験になると思っています。
私は、今カリンバという楽器を買って、たまに家で練習しています。
カリンバは箱や板に固定された金属製の細い棒を親指で弾いて演奏するアフリカの民族楽器で、オルゴールのような優しい音色から、「親指ピアノ」や「ハンドオルゴール」とも呼ばれていて、誰でも簡単に演奏できる手軽さと癒しの音色が最近人気を集めている楽器です。
簡単に演奏できるとはいえ、もちろんすぐに上手に弾けるようにはなりません。細い棒を親指で弾いて弾くので、隣の棒に指がかかってしまうと違う音が混ざってしまったり、弾く力加減で音色がキレイに出なかったり、何より棒の配置がピアノと違うので場所を覚えるのもなかなかスムーズにいきません。
最近ちょっと弾かない時間が多くなってしまっていましたが、もっと練習する時間をとって、カリンバという楽器と触れ合い、きれいな音を出せるようになりたいと改めて思いました。
楽器にふれる生活が、きっとまた新しいワクワクと新しい景色を与えてくれることを楽しみに。

この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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