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誕生の日

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きぬえ宣伝社のコラムライフハック
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5月1日。
私がこの世に誕生した日だ。
メーデー。
タイミング的にゴールデンウィークに含まれるときもある。
学生のときは学校の開校記念日に設定されていることが多かった。
そのせいで学校に行かない誕生日が多くて、「おめでとう」と当日に言ってくれる人が少なかったりしたが、なんとなく私は自分の誕生日が好きだ。
1日というなんだか「一番感」があるところも気に入っているし、5月という暑くもなく寒くもないところもいい時期なところも。

私は帝王切開で産まれた。
母は双角子宮(早産や流産のリスクが通常より高い)で、自然分娩をするには胎位異常や産道の通過困難が多いため、帝王切開を選択するケースが多く、例に漏れず母もそのうちの一人だった。
母は、私と妹を帝王切開で産んだ。
私が小学校の中学年ぐらいのときに、実は姉がいたことが伝えられた。
生きていれば私の一つ上。
その姉が母のお腹に宿ったとき、すでに母は双角子宮だということがわかっていて、出産は帝王切開にすると決まっていたらしい。
姉を妊娠していた時、母は小さな個人の産婦人科に通っていた。
妊娠中は幸い姉は問題なく母のお腹の中で大きくなっていき、少し予定より早く陣痛がきた。
夜中だったが、父が車を出して急いで病院へ連れて行った。
もちろん病院は閉まっていたが、父がどうにかしたのだろう。緊急で診察に応じてくれた。
そのまま出産することになり、母は分娩室へ。
夜中で、診察時間外。先生は酒を飲んでいた。
帝王切開で産むはずだったが、酒を飲んでいる状態で手術できないと判断したのか、準備が間に合わなかったのか、とりあえず先生は自然分娩を選択した。
もう産まれそうだし、帝王切開のはずなのにと不安に思いながらも、両親は従うしかなかった。
そうして姉は自然分娩で誕生した。
産声が聞こえないまま母は病室に戻された。
我が子の様子が気になってはいたが、誰も何も教えてくれない。
周りの母親の元には産まれた赤ちゃんが連れてこられて、父親や親族と喜んでいる。
母のところにはなかなか産まれた我が子が来ない。母の後に出産した母親のところには来てるのに。
母は不安で、父や祖父母に「赤ちゃんは?」と繰り返し尋ねた。
でも、みんな「もう少しで来るよ」としか言わない。
母が真実を知ったのは、祖父が病院の廊下で「赤ん坊の棺桶ってあるのか?」と話しているのが聞こえたときなのだそうだ。
私の姉はやはり自然分娩に耐えられず、呼吸困難で亡くなった。
その話しを聞いたとき、私はどうして病院を訴えなかったのかと、父と母を問い詰めた。
どう考えても病院側に過失がある。
でも、両親はとてもつらそうに、「訴えても、死んじゃった赤ちゃんは戻ってこない。」と言った。
「訴えて、裁判とかになって、いつまでもずっと恨んだり後悔したりする気力はなかった。」とも言った。
それを聞いたら、もうそれ以上そのことについて問うことはできなかった。

私はその一年後に、大きな総合病院で帝王切開で産まれた。
戸籍上は私は長女。
「最初の子供だからかわいい。」ではない。
「最初の子供の分も無事に産まれてよかった。」だったのではないか。
特に父が私をとにかく甘やかし、可愛がったのはそんな背景があったからなのかもしれない。姉の誕生日は聞かされていない。
父が周囲の意見も聞かずに水子にしてしまったらしく、お墓もない。
でも私にはほんの短い間、姉がいた。
姉の話しを聞かされるまで、私は最初に産まれた、完全な第一子だと思っていた。
「長女っぽくないね」とか「妹の方がしっかりしてるね」とかよく言われた。
ほんとは次女だったからそう言われたわけではないだろう。
それはただの私の資質だ。
今でもたまに、もし姉がそのままいたら、私はどう育ったのかと思う。

親が違ったら、今の私が産まれてくることはなかっただろう。
姉が存在していても今の私ではなかっただろう。
それと同じように産まれた日が違ったらどうだったんだろうと思う。
日にちが違うぐらいで何も変わらないのかもしれないが、もしかしたらその小さな違いでも完全に今の私ではなかったのかもしれない。
ちなみに私は予定日よりも少し早く産まれたらしい。
予定日は5月12日だったと母から教えてもらった。
私が大好きな奥田民生氏は5月12日生まれ。
ユニコーンにハマり出したころ、母に「予定日に産んでくれれば民生と一緒だったのに…。」と文句をいったこともあった。
1日が気に入っているのに、自分でも「そりゃないよ」と思う。

人が死んでしまったら、誕生日よりも命日が重視される気がする。
母が死んでしまってから、私は母の誕生日よりも、命日の方を意識していた。
夫と結婚して、夫が私の誕生日をとても大切にしてくれるのと同時に、私の母の誕生日を命日よりも重視してくれていることにきづいてから、私も母の命日よりも誕生日を意識するようになった。
母の誕生日は6月7日。父の誕生日が6月9日。その間の6月8日が二人の結婚記念日だった。
2人は結局離婚したし、母は「ジューンブライドとか言うけど、6月に結婚なんてするもんじゃないね。」と言っていた。
でも、そうじゃなければ私はいないのかもしれない。
そして、私が夫と出会った日は6月9日、父の誕生日だ。

もうすぐ5月1日。私は49歳になる。
ちょっと前までは「また歳をとるんだから、もう誕生日なんてめでたくないな。」と思ったりしていたが、今は逆にありがたい、めでたい、感謝、という気持ちが大きい。
元気に、笑顔で誕生日を迎えられることは当たり前ではなくなってきたのだから。
「誕生日おめでとう」と周囲から言われ、「ありがとう」と答える。
多くの人が何気なく交わす誕生日の会話。
子供のころ、誕生日はお祝いしてもらえるし、プレゼントがもらえるし、そういうことが楽しみだった。
歳を重ねていくうちに、また歳をとるのかと、ネガティブに考えることもあったが、今はまたそれとも少し違う。無事に、また一つ歳を重ねることができたことに、感謝する気持ちが大きくなった。
地球にとって、日本にとって、社会にとって、私が誕生したことも存在も大したことではない。
でも、ほんの小さな私の周囲の世界で私の誕生を祝ってくれる人がいる。
そんな人たちに「おめでとう」と言ってもらえることに心から「ありがとう」と思う。
さあ、今年も自分の誕生の日に感謝の気持ちを新たにして、大切に生きていこう。


この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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