あなたは、今の自分の「生き方」について考えたことはあるだろうか。
「どうやって生きていこう」「毎日をどう過ごそうか」と、あらためて考える時間は意識しないとなかなか作れないような気がする。
私は今、とてもよく考えるようになった。
つい最近まではそんなに真剣に、時間をかけて考えることはなかった。
日々の仕事や、生活、遊びなどをこなすだけで時間は過ぎていくし、特に問題が起こらなければそれが当たり前だと思って日々を送ってしまう。
特に年齢を重ねるごとに一日、一か月、一年がどんどん短く感じられるようになってきて、気づくと本当にあっという間に時間は過ぎていく。
ちなみに、歳を取ると一年が短く感じる現象には、脳の仕組みや生活環境の変化が関係していると言われている。
一つ目は、人生全体に対する一年の比率が小さくなること。
5歳児にとっての一年が「人生の5分の1(20%)」だとすると、50歳の人にとっての一年は「人生の50分の1(2%)」になるというような比率の違いが体感時間を短くさせるということだ。
二つ目は、新鮮な体験の減少。脳が受ける刺激の量が、体感時間に影響を与えるという現象。
子供のころは、毎日が初めての経験にあふれているが、大人になると生活がパターン化して、過去の経験で処理できてしまい、引っ掛かりのない平坦な記憶になってしまうため、振り返ったときに「あっという間だった」と感じるらしい。
他にも代謝の低下や、注意力を向ける対象の変化なども要因なのだそう。
少し脱線してしまったが、このように、これから年齢を重ねていくと、時間の過ごし方や、自分の生き方を考えずに暮らしていたら、どんどん時間だけがすごいスピードで過ぎていくのだと思うと、少し怖くなってくる。
でも、何かきっかけがないとなかなかそんな風には考えられないもので、私もいくつかのきっかけがあって、今とても真剣に、時間の過ごし方を考えている。
とは言っても、私の言うそれは、「どんな仕事をしたいか」とか「どこに行きたいか」とかとはちょっと違う。
本当に「生き方」というシンプルでいて、最適解がないものそのものについてだ。
「生き方」は人それぞれなので、「これが正解」という答えはない。
ただ、逆に言えば自分で考えて、自分でしか決められないものでもある。
それなら自分で自分自身と向き合って、自分の正解を導き出してみたいと考えた。
私はまだまだ未熟だし、自分にも甘いので、そんな自分が「自分はこう生きる」と決めて、それを正解だと思えば、少しは迷わずに進めるような気がしたのだ。

まずはお金について。
正直、お金はないよりあった方がいいとは思う。それで心にもゆとりができると考える人もいるだろう。
でも、お金に囚われて、お金に自分の生活や考え方を支配されるのはいやだなと感じる。
少ししか無ければ無いなりに、使い方を考えるのも楽しいものではないか。
例えば、野菜や魚などは、安いものほど旬で美味しいことが多い。
安くて美味しいものを、上手に使って、野菜の皮や芯なんかも無駄なく使い切れたら、満足度も上がる。今は、使い方も調理法も調べればすぐわかるし、保存法などもすぐに検索できる便利な時代。そういうものも有効活用して、楽しく節約するのがけっこう楽しい。

次に考え方。
私は基本とてもネガティブで、心配性な人間。
勝手にいろんなことを先回りして想像して、不安になったり憂鬱になったり、めんどくさい人だ。
「そんなこと今考えてもどうしようもない」といったことも、延々と考えて勝手に悩んだり。
それに加えて、「みんなに好かれたい」という願望も無意識にあるようで、周りにどう思われているかがすごく気になってしまったり、逆に「自分が苦手な人のことも好きになれるか」と考えたりする。
昔から「自分が嫌いな相手は、その人も必ず自分のことが嫌いなはず」と思っているため、自分が苦手な人を好きになれれば自分も好きになってもらえると思うからなのかもしれない。
でも、これはとても強欲なことでしかない。
どうしたって、苦手な人はいる。ということは、自分のことを苦手な人だってどうしてもいるのだ。
それをみんなに好かれようなんて、傲慢でしかない。
そんな努力をするくらいなら、苦手な人とどうやったらあまり接触しないで済むか、どう接したらお互いに不快な気持ちにならないかを考えたほうがいいと思うようになった。
自分が苦手なことも、相手に苦手に思われていることも、認めて対応する方がラクだし、結論を出しやすいような気がする。
今まで何回もこんな感じの悩みを夫に相談し続けて、その都度「みんなに好かれるなんて無理だから」「嫌いなもんは嫌いなんだから、しょうがない」と言われてきた。夫はたぶんそんな相談はめんどくさかったはずなのに、何度も同じような悩みをぶつけたときに、何度もきれいごとや適当な慰めであしらわずに向き合ってくれた。そのおかげで私は少しずつちゃんと自分の意見としてこう思えるようになったのだ。
あともう一つ、考え方で私が意識的に変えようとしているところがある。
それは「自分の正義に自信を持つ」ということ。
働いていたり、大勢の中にいると、「周りはこうしてるから」とか「空気読んだらこっちにした方がいいよな」と考えることはないだろうか。
例えば残業。もう自分の仕事が終わっているのに、周りの先輩や同僚が残っていたら「私ももう少し残ってたほうがいいのかな」と思って、無理に仕事を探して残ってみたり。
他には、周りの意見に同意できないとき。「みんなこう言ってるけど、なんか私は違うと思うな~」というときに、ふと「大多数がそう思っているなら、それが正解で私が間違ってるのかな」と考えてしまうようなこと。
もちろん、自分の意見に自信がないことはたくさんある。
でも、「自分はこういう働き方をしよう」と「自分はこう思う」というのは自分の中の正解なのだとしたらそれでいいのではないだろうか。
他の多くの人と違っても、その周りの人たちに迷惑をかけず、自分のやるべきことをきちんとやっているのなら、それは自分の正解として自信を持っていいのではないかと思う…というより、思うように努力している。
これも夫の影響。私はそういう場面で周りに合わせようとして、でも自分の考えとは違うからモヤモヤして悩んで夫に相談して。そのときに「わかるよ。俺もそういうときは自分に言い聞かせながらやってる」と言われた。
「自分との闘い」とも。
ああ、そうだなと思った。
そうやって悩んだときは「自分で決めてそうやろうって決めたんでしょ?」「自分がこうした方がいいと思って周りに合わせるならいいけど、それって流されそうだからモヤモヤするんでしょ?」と、自分と話し合うことをしなければいけないのだと。
こういうのも夫の影響、夫に常に相談して一緒に考えて、私もそう考えるようになったのだけれど、誰の影響であろうと、受け売りであろうと、今の私の考えには違いない。
昔から私がいつからかずっと思っていること。「人のために何かをすると、それに失敗したり悩んだときにその人のせいにしてしまうから、人のためじゃなく、自分で決めて自分のためにやる」ということ。きっかけが何だったか覚えていないけれど、これだけはずっと思って生きてきた。
夫の影響と、昔からある自分の考えから、今の私の正解が出来上がっているような気がする。

そうして、自分の生き方を考えたときにたどり着いたのが、「自分にやさしく、丁寧に生きる」ということ。
どんなに悩んでも凹んでも自分を責めずに、小さな幸せを見逃さないように、何事も丁寧に。
自分の中の正解は、自分のものでしかないから、人と比べたり、周りを見ると自信がなくなることもあるけれど、自分が決めた正解を信じる。
そして、食べること、人と触れ合うこと、自然と触れ合ったり、見たことの無いものを見て感動したり、そういう小さなできごとをきちんと感じられるように丁寧に生きる。
そうしたら、何気ない毎日もとても大切で幸せに感じられるし、人の優しさもきちんと感じられるような気がしている。
あくまでも、「私の正解」だから、他の人に当てはまるかもわからないし、当てはまらなくてもいい。
私の正解は「自分にやさしく、丁寧に」なのだ。
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