
幼い頃、大人の男の人はみんなたばこを吸うのだと思っていた。
わが家の男性陣がたばこを吸っていたからなのだろう。
特に父はかなりのヘビースモーカーで、寝てるときとお風呂に入っているとき以外はだいたい左手の人差し指と中指の間にはたばこが挟まっていた。
食事中もそう。父は私たちと一緒に食べるときは食事というより晩酌なので、食卓の上の父の左手の近くには灰皿が必ず置かれていた。
今では考えられないが、当時はバスの中にも電車の中にも灰皿があったので、たまにそういった乗り物で出かけるときも目的地に到着するまでの間はずっとたばこを吸っていて、備え付けの灰皿は降りる頃には溢れそうになっていた。
お金がなくて、電気が止まってもたばこだけは母に買わせた。
母は、何よりも父の酒とたばこは第一優先で買っていた。
たばこは当時一日に4~5箱吸っていたから、かなり家計を苦しめていただろう。
母が亡くなって、自分で買い物をするようになった父も、何より先に酒とたばこを買い物かごに入れて、その後に食べたいものをどんどん入れていく。
お金の計算など全くせずにそんな調子で買い物をするから、当然すぐにお金は無くなった。
母が亡くなってしばらくは、私がひと月に一回ぐらい、父の様子を見に行っていた。
あるとき、行く前に父に電話をしたら、「3日間、水しか飲んでいない。お前と食うおかずは作ってあるから、自分の飲み物とお父さんの酒とたばこを少しでいいから買ってきてくれ。」と言われた。
「お金ないなら、私の食事は作らなくてもいいから、自分の物ちゃんと買って、ちゃんと生活してよ。」と言いながらも、父の電話の声があまりにも弱々しく、本当に何も食べていないのだと感じた私は、言われたとおりの物と、父が使えそうな食材を買って行った。
帰ったら、ケンカになってもいいから、ちゃんと父と話そうと思っていたのだが、実家に入って、父を見た瞬間、私は固まった。
父は前回来た時よりも、かなり痩せこけていて、私の知っている父ではないみたいだった。
冷蔵庫の中は少しの調味料と、私に作っておいたというおかずのみ。お酒は焼酎が買えないから、調理用の飲用みりんを飲んでいるという。たばこは吸い殻のフィルターの近くに少し残ったたばこの葉っぱを集めて、紙で巻いて自作のたばこを吸っていた。
「お父さん、器用だろ。」と力なく笑う父を見て、私は涙が出て止まらなかった。
泣いて、怒って、せいいっぱい懇願して、それから二人でテレビを見ながら父の料理を食べた。
とにかく、そうまでしてもたばこを吸おうとするほど、父はたばこに依存していた。

そして、もう一人のわが家の男性陣である祖父も愛煙家だった。
隣り町に住んでいた母方の祖父。
大正生まれで、戦争で戦った経験のある人だ。
祖父はとても物静かな人だった。特に戦争のことはほとんど聞かされたことはなかった。
兵隊にとられて、鉄砲の玉がふくらはぎに当たったことがあったらしく、祖父の足にはその鉄砲の玉の跡が痛々しく残っていた。
生まれは大阪らしい。北海道に来た経緯は知らないが、戦争が終わってからは、炭鉱夫として働いていた。私が産まれたころにはもうとっくに炭鉱は閉山になって、年金生活をしていたが、祖父の手の指は変な方向に曲がっていた。おそらくリウマチだったんだと思う。
そんな時代を生きてきた祖父は、ほとんど贅沢を言わなかった。
食べ物も、着るものも、あるものでいいというスタンスだった。
一人娘の母と、私たち孫に会うために、たまに遊びに来てくれるとき、祖父は小さな贅沢をする。
バスを乗り継いでくる途中、自分だけパチンコ屋に寄る。
祖母が一足先に家に来て、母と話したり、私たちと遊んだりしてくれている間に、祖父が紙袋を持って帰ってくる。
パチンコといっても、少しのお金で平台を短時間楽しんで帰るだけ。
少し勝った分は自分のたばこを一箱と、残りはすべて私たちのお菓子に変えて持ってくる。あとは必ずおみやげに大判焼きを買ってくる。

私が小さい頃は、父や祖父にたばこを買いにおつかいに出されることがあった。
今はたぶん子供はたばこを買えないと思うが、昔は子供にも売ってくれた。
祖父の家の近くには古いたばこ屋さんがあって、いつもそこで買うので、私も祖父に頼まれたらそこに行って、「らくだの絵のやつください!」と言うと、お店のおばあちゃんが、「あ~、トモさんとこのお孫さんかい。えらいね~。はい。これね。」と渡してくれた。
たまに飴なんかをくれたりもした。いつ行っても褒めてくれるから、私は祖父に「今日はたばこある?」とおつかいに行きたがったものだ。
父は、たばこがなくなると怒るので、母がカートンでまとめ買いをしていたから、めったになくなることはないのだが、自分で経営していた小さな飲食店で、仕事中にたばこを切らしたとき、ちょうど学校が終わって、その父の店に来ていた私は、近くのスーパーで買ってくるように言われた。
父がその時吸っていたのはマイルドセブン。「間違えるなよ」と言われたが、小さい私は店に着いたら「マイルドセブン」という名前を忘れてしまった。たばこの売り場を見たら、見覚えのある星がたくさんついたパッケージを見つけ、これだ!と思い、店員さんに「この星のやつください。」と言って買って行ったら、それはセブンスターだった。
「間違えるなって言ったのに、なんで書いて行かなかったんだ。」と怒られ、もう一度行かされた。
また同じレジに並んで、今度は「マイルドセブンください」と店員さんに頼んだら、「さっき買って行ったやつ、間違ってたの?両方とも星だもんね。どっちか聞いてあげれば良かったね。ごめんね。」と言ってくれて、父に怒られてしょんぼりしてた気持ちが少し膨らんだ。

大人の男の人はたばこを吸うものだと思っていたが、大人の女の人がたばこを吸うのはカッコ悪いと教えられていた。
ただ単に、父がたばこを吸う女性を嫌っただけなのだが、幼い私はカッコ悪いのだと思い込んでいて、たまにたばこを吸っている大人の女性を見ると、そう思うようになっていた。
ある日、学校から帰ったら家の中で母が父に追いかけられて、逃げ回っていた。
当時、たまにそういう場面を目にしていたから、また母が父にちょっと口答えをして怒らせたのだと思っていた。
でも、この時は数日経っても父と母は口をきいていないようだった。
「どうしたの?」と母に聞いても何も言わない。
あまり追及すると怒られると思い、ほとぼりが冷めるまで黙って待った。
しばらくして、すっかりそのことを二人が忘れた頃、父に「あの時、何があったの?」と母がいないときに聞いた。
「お母さん、お父さんに黙ってたばこ吸ってたんだ。」と父は言った。
父に買ってきたたばこを一箱こっそり母は自分の布製の買い物バックに忍ばせていたらしく、それをこっそり吸って、吸い殻をティッシュにくるんでそのバックに入れていたらしい。
その吸い殻がきちんと消えていなくて、母のバックが燃えて発覚した。
「もう吸わないって言ってるし、かわいそうだからお母さんにはもうこのこと聞くなよ。」と言われて、私は知らないことにしておいた。
母が病気で倒れる少し前、母がトイレでたばこを吸っているのを目撃した。
トイレに入って何度か咳をしながら、何回か水を流しているのが不自然で、母に気付かれないようにトイレから出てきた母をこっそり見ていたら、あの布製の買い物バックの底の方にたばこを入れているのが見えた。
迷った。このまま見なかったことにしても、いつか父がまた勘づくかもしれない。今度はもっと怒られて、殴られるかもしれない。でも、母に何て言おう。たばこを吸ってることを責める気持ちはないけど、私にそれがばれたことに母はどう反応するだろう、もしかしたら母は怒るかもしれない。
数日後、私は勇気を出して母に言った。
「お母さん、怒らないでね。トイレでたばこ吸ってない?お父さんいないときはいいけど、お父さんいるときは我慢した方がいいと思う。ほら、お父さん寝てるようで起きてることあるし、気付かれたらめんどくさいし。」おそるおそる私が言うと、母は「何言ってるの?吸ってないよ。」と笑って言った。
以前、父に口止めされた件は言えなかった。「そっか。でも吸ってると思ったから、お父さんもそう誤解するかもしれないし、心配だっただけ。」と言ってその話題は終わらせた。
それから間もなく母は離婚した。父がいなくなってからも私たちの前でたばこを吸うことはなかった。
でも、たまにこっそりトイレで吸っていた。
そして母はくも膜下出血で倒れた。病院で母の喫煙歴を聞かれた。
母のくも膜下出血の原因は高血圧。お金がなくて血圧の薬をずっと飲んでいなかったので、母はたまに血圧が高くなり、頭痛を起こしていた。市販の頭痛薬でごまかしていた結果だ。
そして、喫煙も高血圧の大きな要因だ。
あの時、怒られてもいいからしつこく問いただして、「たばこ吸うのやめて!」と言っていたら違ったのかと、心の奥の方でずっとチクチクしていた。
母が何とか一命を取り留めたあと、病院の先生に泣きながらそれを話すと、「ずっと黙っててつらかったね。でもお母さんの病気はたばこを吸っていなくても同じだったと思うよ。お姉ちゃんのせいじゃないよ。」と頭をなでてくれた。「ごめんなさい。ごめんなさい。」としばらく私は泣いた。
私は現在たばこは吸わない。
でも、5~6年ぐらい前までは喫煙者だった。
社会に出てからは喫煙所でのコミュニケーションも大事ぐらいに思っていたし、何度か禁煙を試みたが、すぐに失敗した。
結婚してからも吸っていた。結婚当初は夫も吸っていたが、もともと夫はたばこに対する依存はなく、吸わなくても大したことないというぐらいだった。どんどんたばこの値段が上がり、夫は「こんなに高くなるんならやめるわ~」ぐらいのテンションであっさりやめた。
私はそれでもなかなかやめられずにいた。マイホームを買って、たばこのヤニが家に付くのがイヤで、加熱式たばこに切り替えた。(これはこれで独特の臭いはするのだが)
それからもたばこの値上がりは続いていたし、やめたいという気持ちはあった。
夫は「本当にやめたいなら禁煙外来行ったら?」とすすめてきたが、なんとか自力でやめられないか考えていた。
そこで夫が見つけてくれた、ニコチンレスの電子たばこ。リキッドを熱して水蒸気を楽しむもの。ニコチンが入っていないし、これで代用できるなら身体のためにもいいと思い、購入した。
今まで吸っていた加熱式たばこの本体が壊れたタイミングだったから、吸いたくなったらこのニコチンレスしかない環境にした。しばらくはそれで代用できていたが、2か月ほどしたころから、それがあまりおいしく感じられなくなった。ついには吸うと気持ち悪いと思うぐらいになり、それなら吸わない方がマシだと思い、使用を中止した。せっかく2か月ほどニコチンの入ったたばこを吸っていなかったのに、ここで吸ってしまったら絶対に元に戻ると思い、得意の「もったいない根性」でたばこを買わないでいたら、吸いたいと思うことも少なくなっていった。たまに外で飲んだり、登山で頂上に着いた瞬間などは吸いたいと思うことがあったが、「もったいない根性」が勝った。
たばこをやめて2年ぐらい経ったら禁煙成功と言えると聞いた事があるが、それが正しいのなら一応私は禁煙に成功したことになる。
自分も吸っていたし、愛煙家を否定するつもりはない。
ただ、一部のマナーを守れない人たちの影響と、昨今の健康志向から副流煙などの問題も問われている中で、喫煙者たちはどんどん肩身が狭くなってきているように思う。
居酒屋などでも禁煙のところは増えてきているし、街を歩いていても昔はところどころにあった「喫煙所」も少なくなってきた。
祖父のおつかいで行っていたような小さなたばこ屋さんなんかも、今はほとんど見なくなった。
お酒と違って、「百害あって一利なし」と言われるたばこ。
祖父の「らくだ」と父の「星」。わたしの思い出のたばこ。

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