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夢で会いましょう

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冠雪の富士山と鶴亀の和風イラスト
きぬえ宣伝社のコラムライフハック
この記事は約7分で読めます。
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夢ということば。
「明鏡国語辞典」(大修館書店)による「夢」の項には以下のように記されています。
①睡眠中にさまざまな物事をあたかも現実の経験であるかのように感じる心的現象。多くは視覚像として現れる。
②将来実現させたいと思っている願い。
③現実から離れた空想。
④はかないもの。また、たよりにならないもの。
今回、お話しさせていただく「夢」は①の睡眠中に見るものについてです。
あなたは最近、どんな夢を見ましたか?

夜空に浮かぶ三日月と雲

小さい頃、いい初夢を見たくて、大晦日「紅白歌合戦」が終わって眠る前に、絵を描きました。
初夢に見ると縁起が良いとされる「一富士二鷹三茄子」のうちの「富士山」をバックに、これまた縁起がいいと言われていた「鶴」と「亀」を「宝船」に乗せて。
それを枕の下に敷いて、準備万端で眠りにつきます。
元日に見られなくても三が日のうちに見られれば「初夢」だと思い、三日間その絵を枕の下に忍ばせて眠りましたが、一度もその絵に叶った初夢を見られた記憶はありません。

青空と冠雪の富士山

小さい頃や若い頃から眠りが浅いのか、眠ると夢を見ることが多かった気がします。
例えば「いい夢」。憧れの芸能人と会える夢とか、好きな人と仲よくなれる夢とか、家族で遠いところに遊びに行く夢とか、幸せな夢を見ると目が覚めたときに「あ~…、夢か…」とがっかり。
なんとか続きを見ようと、すぐに夢の世界に戻ろうとしたこともありますが、二度寝して寝坊するだけで、夢の続きは見られません。
そして、この「いい夢」の類いは、忘れるのも早く、いい夢を見たという記憶はあるけれど細かい内容はすぐに忘れてしまうことが多いような気がします。
逆に、高いところから落ちる夢や、怖いものに追いかけられて一生懸命走っているのに進まない夢などを見たとき、はっと飛び起きて「夢でよかった」と一安心してもう一度眠りにつくと、また夢の世界に戻り、またはっと目が覚めて…それを何度か繰り返し、夢か現実かわからなくなって怖くなり、しばらく眠らないように頑張るのですが、引っ張られるようにまた夢の世界に引き戻されるという、とても心地が悪く、怖い夢を見た日は一日中何だか気持ちがザワザワして、身体が重い。
こちらの「悪い夢」の方は、大人になっても覚えていることもあります。
私が幼少期に見た夢の中にも、「忘れられない嫌な夢」として残っているものがあります。

夕暮れ時の団地の風景


たとえば、子どもの頃に住んでいた団地の公園で友達と遊んでいる夢。
周りも暗くなってきて、友達も次々と家に帰っていきます。
私もそろそろ帰ろうとしますが、自分の家が思い出せません。
たくさんの家のチャイムを鳴らして探しても自分の家にたどり着けません。
困って泣きながら外から「お母さ~~ん!家わからなくなっちゃったから窓から顔出して~!!」と何度も叫びます。
すると一つの部屋の窓から母が顔を出します。大きな声でずっと叫んでいたせいか、暗くなるまで遊んでいたせいか、母の顔は怒っています。
それでもこれで家に帰れると思い安心したところで、違う部屋の窓からも母が顔を出します。
こちらの母は優しい顔で笑っています。
そうやって次々と違う部屋からいろんな表情をした母が顔を出すのです。
そしてどの母も誰一人として声を出してくれません。
「どれがお母さんかわからない!ホントのお母さん、声出して名前読んで!!」と私は叫びます。
すると、急に私は自分の家の位置をはっきりと思い出し、その部屋の窓を見てみると、母ではなく、鬼がこちらを睨んでいます…。絶望したところで目が覚めました。
その夢を見てしばらくは、外で遊んだあと家に帰るとき、自分の家の窓を見るのが怖かったのを覚えています。

雨粒がついた車の窓ガラス

もう一つ、忘れられない夢があります。
父と母と妹と私の四人でどこかの山にキャンプに出かける夢です。
父の運転で山を登っていくと、道がどんどん狭くなり、車ですれ違えないぐらい狭い崖の中。
どんどん周りが暗くなってきて、ついには雨も降り出します。
私は怖くなって父に「暗くて何も見えないし、崖から落ちそうで怖いよ。ちょっと停まろうよ。」と父に頼みます。雨もどんどんひどくなってきて、父もさすがに危険だと感じ、車を停めます。
車が停まったとたんに母と妹はなぜか怒って、「私たちは歩いて降りるから」と二人で車を降りてしまいます。私は父一人を置いておくのも心配で、車に残ります。
そうして雨宿りをしている間に父は運転席で寝てしまい、私は一人で窓の外の様子を見ていました。
すると、何だか人がいるような気配がします。
雨が少し収まってきていたので、一人で車の外に出てその気配の方へ行ってみましたが、誰もいません。気のせいかと思い、車に戻ると父はまだ寝ています。
助手席に乗ろうとすると、シートの上に新聞が乗っています。
新聞なんて持ってきてないのに何だろうと思いながら、その新聞を持ち上げ、ふと記事に目をやると大きく「この新聞を読んだら死ぬ」と書いていました。
あくまでも夢の中の話なので、そんなありえない記事も夢の中の私は疑いません。
あせって運転席の父を「お父さん、起きて!!」とゆすって起こします。
新聞を読んでしまったことを急いで説明するのですが、信用してくれない父。
「そんなわけないだろ。ただのイタズラだ。その証拠にお前、その新聞読んだのに生きてるだろ。なんだそれ、見せてみろ。」と私が持っている新聞を取り上げようとしたときにサイドミラーに父の顔が映り、その顔が血まみれで真っ青だったのです。
なぜか、「この新聞をお父さんに見せたときのお父さんだ」と確信した私は、その新聞を持って山を下りたはずの母と妹を探しに行きます。
やっと見つけた母に事情を説明しますが、まともに取り合ってくれません。
「お願いだから信じて!!助けて!一緒に来て!」と泣きながら私が叫びます。
それでも母も妹もゲラゲラ笑っています。そこで目が覚めました。
何かを叫んで目を覚ました私の目からは涙があふれていました。
起きてからすぐに、母に夢の内容を話したら「良かったね。誰かが死んだ夢を見たらその人は長生きするっていうよ。お父さん、長生きするね。」と。
その時は「そうか。それなら良かったのかも。」と思いましたが、夢の中の父はまだ死んでなかったよな…とだいぶ経ってから思ったものです。

大人になってからは、幼少期の自分と家族の夢を見ることが多くなったような気がします。
中には自分だけ大人で、父や母だけが昔のままだったり、見たこともない大人が親になっていたり。
そこに今の夫が加わっていることもあれば、若い頃に付き合っていた彼氏が登場することもあります。
高熱を出したときは、昔みたような悪夢を見ることもあります。

昔も今も共通してるのは、いい夢でも悪い夢でも、「起きたら話して聞かせよう」と思っても、朝になったらちゃんと内容を覚えていないことです。
先ほど話した夢のように、いくつか詳細までずっと忘れられずに残っている夢もありますが、ほとんど(いい夢は特に)は説明できるほど覚えていません。
私の記憶力の問題なのか、夢をみたときの「あるある」なのかわかりませんが、ざっくり「こんな人が出てきた」とか「誰かに追いかけられて、はっきり覚えてないけどどうにも逃げ切れなくなって、つかまりそうになったときに目が覚めた」とかぐらいは説明できるのですが、細かい部分が思い出せなくて伝えきれない。目が覚めたときにすぐにメモしておいたらどうかと、試してみたことがありますが、それでも書いた内容が見た夢と違うような気がしてあまり意味がありませんでした。

夢の不思議なところはまだあって、たまに「あ、これは夢だな」と夢の中の自分が自覚していることなんかもあります。
「夢とは何なのか」ということについては、「古代からある信仰者の理解」、「20世紀の心理学者の理解」、「現代の神経生理学者の理解」とそれぞれ大きく異なった見解があるそうです。
「神のお告げ」とか、「夢占い(夢判断)」、他にも様々な可能性や分析がされているようです。
世界には、自分の見た夢をヒントに大きな発見をした人物がいたりもします。
そういえば、「夢を見て寝言を言っている人に返事をしてはいけない」という話しも聞いたことがあります。答えてしまうとその人は目を覚まさないというものです。
この話を聞いてから、寝言の多かった妹の近くで寝るのが怖くなりました。
小さい頃、妹と並んで寝ていたのですが、そのときの妹はよく寝言を言う子でした。
そして、比較的はっきりとした口調で意味の分からないことを話すので、寝言なのか、起きていて話しかけてきているのか、判断するのが難しいこともありました。
つい寝言だと気付かずに答えてしまったら大変だと思いましたが、そんなに広くない団地です。別々に寝るのも難しく、一つの部屋で並んで寝るより方法はありません。
しょうがないので、寝言であろうと、起きていようと、布団に入った後に妹から話しかけられたら全て無視するようにしたところ、妹に「なんで無視するの!」とキレられたことが何度かありました。当時の私は「寝言とか言うから悪いんじゃん!」と言い返し、不毛な口喧嘩をしたものです。

そんな「夢を見る」ということを分析したりする頭脳もない私は、「あ~、良い夢だったな~」とか、「怖かった~。夢で良かった~」とか、「正夢になったらいいな」とか、「何かの知らせかな?」とか、夢を見るたびに不安になったり、びっくりしたりするのに、すぐにそんな気持ちになったことすら忘れてしまいます。
でも、それでいいかな~とも思っています。
夢ってそんなもんだと思っていたいというところもあります。
もし、「この夢を見るということはこういうことだ」などと、自分の見た夢の意味や原因が正確に判ってしまったら、なんか眠るのが怖くなりそうで(笑)。
「こんな夢見たいな~」が叶えばいいなと思うこともありますが、簡単に叶わないから、見れたときに嬉しかったりするので、自分でそれを設定できてしまうともうそれは夢に見る必要がなくなるというか、まさに「夢がない話」になってしまう気がするのです。

澄み渡る青空と白い雲

AIの進化なども問題になっている世の中ですが、人間の夢の世界はAIにもわからないままであってほしいと思ってしまいます。
今日、あなたはどんな夢を見たいですか?






この記事を書いた人
きぬぶん

◆サイトの運営責任者
◆きぬえの宣伝社 代表社員
◆不定期でコラムなどを執筆中

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